茶道は座標の稽古

こんにチワワよりダックスが好きな私です。

ごきげんよう

 

今日は少し余裕があるので少し真面目に書く予定(真面目に書くと言っていない)

 

「座標」という表現は初心者がスマブラでトップランクにいけるのかというゲーム動画の解説で使われていた表現なのだけど茶道でもしっくりくると俺は思う。

 

稽古では畳の目で道具を置く場所を教わることが多い。

蓋置は3目3目に置くとか水差しは16目に置くとか。

 

江戸と京都の畳の大きさは違うと茶道を習うまでは知らなかったが畳1目は約1.5センチ。大きさ的には誤差だよ誤差と言えなくもないんだけれど、1目ずれて道具を置いたり自分が座ったりすると本当にやりにくくて仕方がない。

 

まだ俺は身長があるし手もおば様達より長いから多少のごまかしは効くと思うんだけどやっぱりきつい。時に着物を着ると座る感覚に慣れていないから2目くらいずれている気がするし袖がある分、2目くらい窮屈に感じる。

俺は谷垣源次郎みたいなガチムチタイプなので特に横がきつく感じる。

 

そう考えると準備の段階で水差しや釜の置く位置が1目ずれていると全部がずれてくるし、それを修正するのは大変すぎる。これは茶道をやった事ある人じゃないと通じない話だ。

 

人によって体の大きさや腕の長さで多少の位置が変わってくるものの、設計図ではないけれど自分が無理なく相手に見苦しくない位置というのが絶対ある。それが畳の目の座標というのを頭で描いてやるのは俺は効果的だと思ってる。

 

たかが数センチを気にするように稽古して注意ができて違いがわかるようになる。

それって普通に生きていたら見逃している目線だと思う。

 

まぁ数センチがわかるようになると昔のカツラみたいにズレているのに気が付いて気になってしまう小うるさい姑根性みたいなのが自然と身に付くのはデメリットです。

 

だけど仕事やプライベートでは意外と役に立つことも多い。

仕事だと数センチを気にできるようになるという事は細かい所まで注意が行くようになるし、違和感を見つけやすくなっている。

俺の大昔の仕事の評価は大雑把だったが、今は正確で丁寧と評価が天と地ほど違う。

 

プライベートでも自分の気持ちをどこに置くかというのを考えるようになる気がしている。疲れすぎていると部屋が汚くなったり自分がずれた事をやっているなと気が付いたり。自分がありたい座標というか位置とずれてないのかを考えたりする。

ちなみに今の俺の部屋は荒れ模様です。

 

意識すると体も覚えて今では水差しもバシッと置ける。着物を着ている時以外はな!

碁盤の目をイメージしてその座標に自分も道具も置けるために稽古に行っている。

その設計図を描くことで自分の人生にとって何かプラスになっていると思う。

最近そんな事を思うようになりましたとさ。

 

おわり