少しずつわかる掛軸のよさ

 

 

 

オッス、こんばんは。

茶道のお茶室では必ず掛け軸が掛けられている。

 

偉いお坊さんが書いたものだからという理由で頭を下げるのかは俺にはわからないけれど稽古場や茶室に入った時は必ず最初に頭を下げる。

内容は禅語からきているから良い言葉ばかりだ。

しかし初見殺しで全く読めない。

一字読めたら自分を褒めてあげたいくらいだ。

 

うちの先生はほぼ毎回掛け軸を変えてくれる素敵な先生なので同じ掛け軸は1年に1回見るか見ないか。

 

先生に教えてもらって「ふーん」と思っても、次に見るのが1年後とかはザラなので、同じ軸を見ても1年後も先生に「これ、何て読むんですか?」と聞く事も多い。

 

それでも続けていれば一字ずつ読めるようになり、言葉の意味もぼんやりわかるようになっていくのは年月を重ねてきた結果だろう。

 

ある季節になると必ずかかる定番の掛け軸を覚えたり出来ると一気に季節を感じることができる。

 

不思議な事に「薫風自南来」だと青葉の時期になったんだなぁ、これから暑いけど好きな季節になったと思うし

 

「開門落葉多」だと炉開きで必ずかかるから落葉が綺麗に落ちて本格的に冬が始まる時期なんだなと感じる。

そういうところも掛け軸の良さだよなと思う。

 

それとは別に先生が何の意図でその軸を掛けたのかは俺にはわからないのだけれど、仕事で辛い事が多かった日に例えば「日々好日」とかがかかっていると少し救われた気分になったりする。

 

同じ掛け軸なのにタイミングというか、その時の気持ち一つで感じ方が違うのは感慨深いよね。

去年見た掛け軸と今年見た掛け軸が自分の気持ちが同じであることはないんだなと最近特に痛感する。

 これこそ一期一会なんだなと思う。

 

季節が絶えず移り代わっていくように俺自身も年齢を重ねて考え方や感じ方が違ってくるのだろう。

その時その時の感じ方を楽しめるようになれば掛け軸って一生使えるものだよなと思った。