偉い先生に習っているからといって町の先生を格下にみると「うわー」って思われる件について

オッス。

寒い日が続いて身も心も財布も寒い毎日です(激寒前置き)

今日は若干の文句要素があるけど、あくまで一個人の見解なので大目に見てね。

 

先生を通じて色々な方にお会いする機会が多い。

色々な方のお話を聞いたりお点前を見ることができるし色々な人の人格を見る事も多い。

 

俺が氷河期世代のはぐれ者という部分が多いからそう感じてしまうのかもしれないのだが、お免状が同じランクでも業躰先生に付いている方が町の先生を下に見る場面を見るとカチンとくる。

 

俺の先生はいわゆる町の先生だ。

俺は町の先生の弟子だから更に軽く見られるし年齢も40代だが若い部類に入る。

業躰先生に習っている方が良かれと思って言ってくれているのはわかるのだが、色々口出ししてくるのよ。それも間違っている事を教えてくる。

 

いつもは軽く「そうなんですね」と流すのだけれど、俺も出来た人間ではないから虫の居所の悪い時は言い返したくなる時も多々ある。

そこは稽古のおかげか低級サラリーマンの悲しい性かはわからないが我慢をする。

 

「業躰先生が~とおっしゃった」と言われるとイラっとくる。

俺はお茶の組織に属していないから大先生の偉さなんてわからないし、組織に属するのは会社だけでお腹いっぱいという人間だから全く興味もない。

 

俺が思ったのは偉い先生に習っているのに濃茶は残念な出来だし、口を出す割には底が見えるレベルのこの人を教えている業躰先生って実は大したこと教えてないんじゃないかなと思ってしまうのよ。聞いたら稽古代も高いしな。

 

別に業躰先生を批判するわけではなく、弟子がこんなもんだと師匠もこんなもんだと見られるのは仕方ないと思うの。

例えるなら「この親にしてこの子あり」と同じ感じかな。

夜に某量販店に行くとガラの悪いクソガキがいて、見ていたら親もヤバすぎ!という事と同じ感じに似ている。

その人が業躰先生から教わっているのに何も会得していないのか、それとも業躰先生が何も教えていないのかは俺には判断がつけられない。

ただサラリーマンの観点からだと高いレッスン料を取っているなら、それなりの人がいないとどうなんだろうと思ってしまう。

 

大先生に習っているからといって必ずしも実力があるわけでもなく町の先生だからといってレベルが低いわけではないという事を見誤ってしまうと心の中で誰かしらに「うわー残念賞」って思われていると思う。

 

まぁ、この親にしてこの子ありという理論で行くと俺のアホ振りがあるから先生も馬鹿弟子の先生という事で下に見られているという可能性があるのだけれどね・・・