毎年恒例のイベントとはいえ人事異動は自分も人も動いて気が狂いそうになる・・・
本日はサラリーマンの宿命の愚痴から開始します。
題名にはファイル1と書いてあるけれどファイル2はないです。
初釜なんて随分前の話だけれど先生から俺の所に情報がくるまでの時間差はあるからゆるして。
これは先生のお茶仲間で生徒さんを教えている先生からの話で、俺の所にくるまで間を挟んでのお話だから話半分のつもりでメモっとこう。
そこの先生の稽古場では毎年初釜をやっているみたいだ。
仮にAさんとする。
どこの稽古場でも生徒さんが一定数いたらやっているんじゃないかと推測。
Aさんの所も他の稽古場と同じように月謝制で稽古は月に2回(仮)
価格は仮に1万円とする。初釜料は1万円とこちらも仮の値段とする。
Aさんと生徒さんが初釜で揉めたのは以下の内容。
・初釜の日は稽古日に充てられるから1月は稽古が1回少なくなる
・稽古が1回少ないという事になるから月謝も5000円にするべきでは?
・初釜も生徒側から頼んでいる訳でもないのに1万円取られるのは納得いかない
・加えてお年賀も包まなければいけない
先生からAさんもショックを受けていたと聞いて気持ちはわかるんだけれど、俺は生徒さんの気持ちもよくわかるから何とも言えなかった。
それは育った時代の違いだよねとしか言えないんだけれど。
政治の話になるのは嫌なんだけれど「失われた~年」というフレーズが毎年更新されていく世の中で俺が知った時は失われた10年だった。それが今では30年を突破して依然として先行きは右肩下がり。収入は夫婦共働きでも先生たちの時代の半分くらい。
そんな先行きが不透明な時代に俺達現役世代はいる。
俺の会社でもコストコストとうるさくて管理もシビアだ。
だから生徒さんの言っている事はある意味今の時代では当たり前で普通の事だと俺は思う。
生徒さんの立場で考えるなら稽古に行くお金を捻出するのだって辛いのに頼んでもいないイベントを勝手に開かれた上、何故かお包みするお金も必要で稽古の回数は1回減らされるし稽古の振替日も無いのに月謝は同じ金額という事なのだから。
それと同時にAさんの気持ちも痛いほどわかる。
初釜の準備は大変だし少々の初釜料やお年賀をもらったところで色々な準備や手間の大変さとを天秤にかけたら手間の方で足が出ると思う。
楽しんでもらいたいとかお茶をやっているからには年の初めや季節の事をしっかりやりたいし、それが稽古だと思って色々やっていたのに頼んでないと言われたら何のための師弟関係なのかと思ってしまうのだろうなと思うし、かなり傷ついたんじゃないかなと思う。
俺もお茶を始めたばかりだったら生徒さんと同じ気持ちだったと思う。
お茶って先生がやってくれた事って本当に見えにくいし見えるようになるにはやっぱり年月がどうしても必要な世界だと思う。
どちらも間違っていない。時代が違って考え方や状況や立場が違っているだけで。
じゃあどうすればいいのかと考えると難しい。
新しい人にお茶を教えてやる人を増やしたいと思うなら今時代に合わせる必要はあるだろう。逆に伝統的な世界だから変えるつもりも必要も感じないしそういう人は辞めてくれて結構と思っているなら変える必要もないのだろう。
伝統的である以上は封鎖的な物を含む事で守られている部分もあり封鎖的である以上は新しい物が入ってこなくて廃れていくという現実もあり正解はどっちかわかんねぇな。
ただ、こういので気持ちがすれ違うって悲しいなぁ・・・