お客に道具を出すという事

こんばんわんこそば。

 

もう立秋。秋ですねぇ。

と言いたいところだが36℃で地下鉄を降りて地上に出ると心臓が痛いくらい暑い。

早く涼しくなって欲しいっすよ。

そして帰る前にメールを開いたら帰れない案件を投げるのやめて・・

そんなこんなで泣き言から始まる我がブログ。

 

 

今日は聞いた話だから真偽はわからないが、本当だと思った気持ちを書く。

 

俺が基本的に稽古の時は稽古道具(とはいえ稽古道具でも俺の給料から見ると高いと思う)を使ってる。

俺みたいな下手くそがやると茶碗を落として割る、袱紗で茶杓を清める時に強く握って折る等の様々なリスクがあるので先生は有名な人が作った道具を稽古では出さない。

逆の立場なら当たり前の事で俺は文句は全くない。

 

ただお茶時になると人を招いてる以上、プラスチックの棗は出せないから秘蔵の道具や年代物の道具を出すのが普通だ。大寄せの茶会でも本物の道具は出てくる。

 

先生が茶友のお茶時に招かれた時にご亭主がすごく華奢な茶杓が出したそうだ。拝見に出す時に袱紗で清めた時に櫂先がポッキリ逝ったそうだ。見ていた先生も焦ったと言っていた。

その茶杓はご亭主のひいおばあさんの時代からの物だったらしい。袱紗でフワリと清めてもお茶を丁寧に優しくすくっても、わずかなダメージが重なり経年も手伝って折れたのだろう。

その時の亭主が「茶杓は折れる覚悟で使っております」と言える覚悟がすばらしいと言っていた。

 

そうだよなと俺も思った。

値段は高いのはもちろんだけど思い入れがある道具を人に出す覚悟。それこそが相手をもてなすっていうことなのかなと思った。

形あるものはいつか壊れる。高い物や思い入れがあるものも使わないと一生押し入れの中。

人の為に道具を出せるって本当に覚悟のいる事なんだなと思った。

 

そしてその道具や覚悟を感じ取れるのか否かは客側の力量にもよるよなと思った。

先生が相手の気持ちをレシーブできたから亭主の人も道具は壊れたけど相手に伝わったという事で少しは気分が救われたのではないかなと思う。

 

亭主の方も客の方も力量を持っていないと伝わりにくい事は全く伝わらない世界なんだろうなと思った。

伝わりにくい事をレシーブできるように修練あるのみなのだろう。

 

伝わりにくい事を少しでもレシーブできるようになれたなら、もっと仕事や生活や人間関係の質が豊かになるんじゃないかなと思うの。